ここイースター島には、大小1000体ものモアイがいます。10〜17世紀の約800年間作り続けられてきたのだそう。
見つかっているモアイの中で、大きいものは21m、小さくても1m13cmものサイズ。
そんな大昔に、誰が何のために巨大なモアイを作っていったのでしょう…
そう言えば、日本にもモアイ像が存在します。日本にいるモアイは、「モヤイ」と呼ぶらしいんです。
日本で一番有名であろうモヤイ像は、渋谷駅の西口にある、待ち合わせ場所のシンボルとなっているモヤイ。
これは、東京の新島という小さな島で作られたモヤイで、東京移管100周年を記念に、新島から寄贈されたものなんですって。新島ではたくさんのモヤイが作られているのだそう。
私が今から7年前に新島に行った時、確かに町のあちこちにモヤイ像がいました。イースター島と同じく新島も孤島で、海ではサーフィンを楽しむ人が多く、環境がイースター島と似ているのかもしれません。
その当時は、元になっているイースター島のこともそんなに興味を持っているわけでもなかったので、この新島にはモヤイがたくさんあって楽しい町だな程度で、さほどモヤイ(モアイ)に対して深く考えていませんでした。
今となっては、何故イースター島から遠く離れた日本での新島でモヤイがたくさん作られて、ましてや何で「モアイ」じゃなくて「モヤイ」なのか気になってきました。
むしろ、今までモアイのことをモヤイだと思ってました。
そして宮崎の日南海岸沿いにも、巨大なモアイが7体が並んでいます。
日本とモアイの関係性って…
考えれば考えるほど、気になってきました。
新島のモヤイを調べると、新島出身の大後友市さんというアーティストさんが、新島で採れる抗火石と呼ばれる柔らかく容易に加工ができる石を用いてオブジェを作ったのがきっかけだったのだそう。
そこからイースター島のモアイをベースに、「催合う、最合う(もやう)=助け合う、力をあわせる、共同作業」から命名されたそうなのです。
そんなモヤイのベースとなった、本物のモアイを探しに、キャンプ場から歩ける範囲でハンガ ロア村を散策してみることにしました。
いかにも南国を連想させる、たくさんの色鮮やかな花たち。
ブーゲンビリアや
プルメリア
ハイビスカス。
アロエってこんな花を咲かせるですね!
それにしても、たくさんの太陽の光を浴びて育っているからか、植物も巨大。
メイン通りAtamu Tekenaを歩くと、小さなスーパーや、薬局、多くのお土産やさん、レンタカー屋さんが建ち並んでいます。
メイン通り沿いのレンタカー屋さんは特に賑わっています。
通りを過ぎて海に向かって歩くと、
いました!!
遠くに見えるのは、モアイ!!
近づいていき、遂に
初モアイ。
5体のモアイが立つアフ・バイ・ウリと呼ばれるモアイたち。
その近くにはアフタ・ハイの1体、さらに近くにはイミテーションの眼がはめ込まれたアフ・コテリクの1体モアイがいます。
そしてこのモアイ、頭に帽子のようなものをのせてますよね?
これ「プカオ」と言って、実は帽子ではなくモアイの髪の毛なんですって!!
お団子頭のようなプカオ、髪の毛と聞いてなんだか可愛く見えてきました。
ここはタハイ儀式村と呼ばれ、住居や鶏小屋などの石組み跡がそのまま残されていました。
アフ・バイ・ウリのモアイは、夕陽がとても綺麗に見えるスポットとしても有名な場所。
モアイの背面に沈む夕陽は、見事な絶景です。
こんな美しい夕陽を浴びるモアイたち。
実はイースター島全てのモアイたちは、「モアイ倒し戦争」と呼ばれる悲しい歴史を持っているのです。
島内に1000体ものモアイがある中で、今日見たモアイは僅か10体足らず。
もっとモアイが見てみたい!
モアイのことが知りたい!!!
モアイが気になる!!!!
と言うわけで、明日はレンタバイクして島を回って、色んなモアイに会いにいってみたいと思います!
2 件のコメント :
でた〜!すごい存在感!!
モヤイと言えば…舫い結びというロープワークがあるね
マルヤマ
まるさん!本当に存在感たっぷりのモアイたちでした!!!まだまだたくさんのモアイが登場しますので、楽しみにしてて下さい!舫い結びってのがあるんですねー!どんな結び方なのか調べてみますっ。ふく
コメントを投稿