首都だけどこじんまりとした街。
所々に、こんな可愛らしい光景に遭遇します。
このヴィリニュスの民族構成は、およそ60%がリトアニア人。ここはリトアニアの首都なのに、リトアニア人が6割しかいないなんて驚きました。残りの40%はどこの民族かというと、かつてポーランド領だったということもあって20%が近くがポーランド人、そして15%がロシア人、そして5%が近隣諸国のベラルーシ人やウクライナ人とのこと。
ビィリニュスの旧市街も世界遺産に登録されています。
夜明けの門
聖アンナ教会
ヴィリニュス大聖堂
旧市街の中で、色んなものが埋められた壁発見!
物価の安いバルト三国では、ランチも安い〜!
Restaurante bistroというお店でした。
そしてリトアニアを語る上で、欠かすことのできない日本人がいたことをご存知でしょうか。
その方のお名前は、杉原千畝(スギハラ チウネ)さん。
ここヴィリニュスには「杉原千畝桜公園」という公園があるほど、この国にとっては重要人物なのです。
杉原さんは第二次世界大戦中、外交官としてリトアニアのカウナス領事館に赴任されていて、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けした方。
当時のユダヤ人は、ユダヤ人というだけでナチス・ドイツから殺されていたという残酷な時代でした。殺されることを恐れていたユダヤ人は、完全にヨーロッパから逃げるためにシベリアを経由して日本へ渡り、そこから第三国であるアメリカなどに避難するしか助かる方法はありませんでした。
杉原さんは、経由する日本を通る際に必要だった日本へ行っても良いよ、というビザを独断で逃亡するユダヤ人のために発行していたのです。
教科書にも、ガイドブックにも載っていない杉原さんのこと。
リトアニアで活躍した日本の誇りとも言える人物なのに、正直私は杉原さんのことを、ここリトアニアに来てから知りました。
自らの命に危険が及ぶ可能性があったにも関わらず、6,000人にのぼる避難民の命を救った杉原さん。杉原さんが発行したビザは「命のビザ」とまで言われています。
その時発行されていたビザがこちら。
そして母校である早稲田大学によって建てられた記念碑には、以下の内容が刻まれていました。
『故杉原千畝氏は1900年に日本に生まれ、早稲田大学在学中に日本国外務省の留学試験に合格しハルピン学院に学び、その後外交官となった。1940年リトアニア共和国領事代理の時代に、身近に迫る戦争の危機の中にありながら、必死の覚悟と信念を以って、亡命ユダヤ人約6千名に対して、1ヶ月にわたって査証を発給しつづけ、彼らの生命を救った。 これは戦争時における輝かしい人道的行為として歴史に記憶され、永遠に語り継がれるべきものである。ここに早稲田大学は、級友として世界に誇るべき氏の功績を称えて記念碑を建立するとともに、リトアニア共和国との学術交流による友好関係がさらに深まり花咲くことを祈念して桜の木を植樹するものである。 2001年10月2日 早稲田大学』
リトアニアで多くのユダヤ人の命を救った、たった1人の日本人。
昨年2015年に杉原さんの映画「杉原千畝」が制作されていますので、興味がある方は是非ご覧いただけたらと思います。
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