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2016-02-23

神秘的なマチュピチュ。そして両親との再会

ブログもやっとリアルタイムに近づいてきました〜!今回のブログは、ちょっと長いです。

さかのぼる事、2016年2月18日。

私たちはどうしてもマチュピチュにこの日に行きたくて、日本にいる時から計画をしていました。

雨季シーズンのマチュピチュ。
晴れても大雨でも、違う日に変更することができません。


実はこの日、私の両親とマチュピチュで会おう‼︎と約束をしていたからです。両親は日本からのツアーで参加。遠く離れた南米に行くには、ツアーと言えどまる2日かけて移動しなければならないし、ある程度期間も必要となります。もちろん、両親も初の南米。

熊本で自営業をしているうちの実家は、私が小さい頃から、父と母は2人一度に従業員さんたちを残して会社をあけてしまう事は、ほぼ皆無に等しい状態でした。田舎であっても従業員は土日も稼働しているので、休みの日に何かトラブルがあれば、携帯が鳴りっぱなし。何かあったら直ぐ駆けつけなければならない。なので私の幼少時代は、旅行と言えば両親無しで祖父母が連れて行ってくれるもの、そして家族全員揃って旅行に行くとなっても、予約をしないで行ける九州内のキャンプ場が殆どでした。自営業は休みはあってないようなもの。

そんな父と母の背中を見て育った私は、3年前にMitsuさんと結婚式を挙げることになった時も、お互いの両親や兄弟と家族旅行に行けたらいいなぁという希望から、思い切ってハワイ挙式に決めました。決めたと言っても、お金の無い私たちは、勝手ながらお互いの両親や兄弟の旅費すら出してあげれず、「お祝い金はいらないから来れたらきて欲しい。」というような話。そんな条件の中、Mitsuさんと私の両親始め、多くの親族が私たちの為にハワイまで来てくれました。父と母はその間、仕事を従業員さんに託して来てくれたのです。

父は定年退職して自由にしてますが、母はまだまだ現役の仕事人。誰かが長期で家を開けるとなっても、誰かはお留守番しなければなりません。そのお留守番が、ほとんど母でした。そして自由な時間がほぼありません。

そんな中、私たちが今回旅をする事なり、父と母は、思い切って一緒にマチュピチュへ行ってみたいと言ってくれました。それが半年前ぐらいだったでしょうか。私たちはもちろん大歓迎。そうと決まったら、母は会社を不在にしても仕事を回してもらえるよう従業員に指導。

そして私たちは、ルート決めの時マチュピチュは2月と決めていたので、両親たちが行くための2月に出るツアーで、何か良いのが出てないか、ずっと探していました。日本からだと直行便もないし、距離も遠いし、旅費も高い。しかも、色んな名所を短期間でまわるパッケージは、マチュピチュ観光4時間とか、短い滞在のものばかり。せっかく合流するのだから、せめて1日ゆっくりと一緒に過ごしたい!そんな思いの中、半年前から探し続け、その中でも手頃な料金かつ条件の良いマチュピチュ村に1泊2日が組み込まれたパッケージツアーが見つかったのです!それが2月18日にマチュピチュ1日観光が組み込まれているものでした。

私たちもそれに向けてルート、スケジュール組みを考え、ついにこの日がやってきたのです。

前夜からマチュピチュ村入りする父と母に、予め聞いておいた宿泊先のホテルへ会いにいきました。もちろんパッケージツアーでは、列車で来る楽ちんコース。とは言え、丸2日間移動し続けている父と母の体力も応えていると思います。

会った瞬間、そんな疲れも吹っ飛ぶほどのハグと握手!!!

わーーーー!居た〜〜!!やっと会えた〜〜〜!

地球の裏側で会う家族との再会、不思議な感じでした。

私たちも、明日は時間を合わせて一緒にマチュピチュ行くからね。

そんな再会を果たし、翌朝。

雨が降っているじゃありませんか…
そう、マチュピチュは雨季なのです。

なぜ、私たちがわざわざこんな雨季シーズンにマチュピチュに行くルートなのかと言うと、ペルーの後に行くウユニ塩湖へ、どうしてもあの鏡張りの景色が見たくて雨季シーズンに行きたかったのです。その日程にくっつけていたマチュピチュ。自然と雨季シーズンに行くことになったのです。

雨だからと言って、晴れた日に変えれないのがパッケージツアー。
雨だろうが、何だろうが遺跡へ今日向かわなければなりません。

お願いだから、、雨よ、止んでください…

そして、父は趣味の写真を朝早くから撮りたいということと、私たちと少しでも長く一緒に入れたらということでツアーガイドさんにお願いして、他の人たちよりも3時間も早い、午前7時頃から4人でマチュピチュ遺跡へ向かうことにしました。ツアーなのに単独行動できるもんなんですね。

マチュピチュ村からマチュピチュまで行くには、2時間の登山か、30分で行けるバス(一人片道US$12)か。いつもならお金のかからない登山を選びそうな私たちですが、雨も降っているし、両親も一緒なので、ここはバスで行くことに。



降ったり止んだりの雨の中、遺跡を目指します。

入り口付近で、リャマと遭遇。

とうとうポンチョも着るはめに。

遺跡が絶景に見えると言われる、見張り小屋と呼ばれる地点につくと、山と雲しか見えません…。

薄っすらと、それらしきものは見えるけど…

遺跡さん、早く顔を出しておくれ。

ツアーガイドさん御一行が遺跡に到着するまでの時間、ずっと粘ります。

少しずつ、少しずつ、
雲が上がってきました!

遺跡がチラチラ見えてきました。


そして、午前9時頃。
大雨の予報から、奇跡の晴れ間!!
顔を出してくれました!!

雨上がりの雲が、なんとも幻想的。

こんな山奥に突如現る空中都市。神秘的でした。


このマチュピチュが見つかったのは、まだ100年ちょっと前の出来事。
1911年に、インディージョンズのモデルとなった、アメリカの探検家「ハイラム・ビンガム」によって見つけられました。まだ見つかっていないインカ遺跡を探す為に、マチュピチュ近くの農民から、山の上にあるインカ遺跡の情報を入手し、発見。山の上に広がる遺跡群から、多くの人骨や骨董品、土器など約48.000点が発掘されたそうです。この都市はインカ王によって1450年ごろから1540年のスペイン人から征服されるまでのたったの90年間しか人々の生活の場として使われることはなかったそう。
多くの労働者によって築き上げたであろう都市なのに…。中南米どこいっても、スペイン人の威力の凄まじさに驚かされます。



マチュピチュがあると知ってて見ても本当に驚愕なのに、400年もの間誰からも手をつけられずに、そして何も知らずに見つけたビンガムは、驚愕どころか言葉にならないぐらいの歓喜でいっぱいだったであろう。
そして建設されてから500年もの月日が経つ現在も、一部の修復はあるものの、こうやって崩壊されずに残っているのは、当時造られた緻密な石組みによってだそう。

ぴったりと吸い付くように積まれた石積みが物語っています。

午前10時頃。ようやくツアー御一行様たちと合流。私とMitsuさんも有難いことに、日本語で説明してくれる現地ガイドさんの話を一緒に聞き回れることになりました。

ここは石切り場といって、大きな石を細く切るための作業場だったんですって。当時のまま、大きな石が多く残ってます。

階段を上り下り。これが結構身体に堪えます。

マチュピチュに住んでいるリャマが愛くるしい!運搬用だとか。

3時間半かけて遺跡を説明してもらい、昼食へ。

遺跡で昼食が食べれるところは、入り口のビュッフェレストラン。父と母はパッケージに付いていたこのレストランで食べることに。

父が追加で入れないか聞いてみてくれましたが、人数制限で追加で入ることができなかった為、私たちは持参していたサンドウィッチを食べて待機。

そして遺跡を後にし、また一緒のバスに乗ってマチュピチュ村まで下りて行くことに。

バスに乗った瞬間、いきなりの土砂降り!!

いやぁ、本当に私たちは晴れ間に恵まれてラッキーでした。

父と母たちは、次の目的地へ行く為に夕方の列車に乗って、このマチュピチュ村から移動しなければなりません。

それまでお買い物タイム!
つかの間の家族との時間も、あっという間に終了です。

駅まで見送りに行き、別れました。

この旅を計画をした頃、まさかマチュピチュで再会するなんて思ってもいなかった私たち。

テロによって世界中で多くの犠牲者が出てしまっている今、私たちが旅に出ると言って、Mitsuさんの家族、そして私の家族には相当心配させてしまっていると思います。言葉には出さなくても、何で今なの?と思っていると思います。私たちの勝手な「行きたい」という強い思いに対して、「無事に帰ってきてね、行ってらっしゃい。」と心配ながらも言ってくれる家族がいてくれること自体、本当に幸せなことです。

そんな家族や友人が日本で待っている以上、私たちは大きなトラブルにも巻き込まれないよう、この旅を続けていきたいと思います。

さてまた明日から、2人旅のスタートです!
マチュピチュの遺跡入り口に、日本語でこんな言葉が掲げられていました。
《世界人類が平和でありますように》


Yoko.



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6 件のコメント :

TEPPEI KOBAYASHI さんのコメント...

家族でマチュピチュなんて奇跡の旅やね。
こんな絶景に行ったら何度となく、バルス!と言いたくなる事でしょう。
引き続き、楽しんで◎

RYO TAKAGI さんのコメント...

感動。。素晴らしい再会だね!
引き続き楽しい旅を〜!

朝陽と夕陽〜夫婦で世界一周〜 さんのコメント...

哲平さん!ありがとうございます!こうして家族が元気に再会できるのもとても有難いことですね!!バルス‼︎叫びまくりました!笑 ふく

朝陽と夕陽〜夫婦で世界一周〜 さんのコメント...

髙木さん、コメントありがとうございます〜!再会無事にできて最高でしたーー!!また感動なことがたくさんあるといいなぁ。ふく

naka@@emi さんのコメント...

すごいすごいっ‼︎今更ごめん(笑)マチュピチュも羨ましいけど、そんなところで家族に再会できるなんて感動だよねー(*^^*)おじちゃんとおばちゃんも嬉しかったどねー‼︎読んでてワクワクしたよっ

朝陽と夕陽〜夫婦で世界一周〜 さんのコメント...

有難うー!ほんとこんな地球の裏側で家族と再会できるなんて感動だったよ。ほんとこの再会できる環境に感謝だね。