飛行機で南アフリカのヨハネスブルグへ降り立った私たちは、列車とバスを乗り継ぎ、ジンバブエへ移動。
国境越えは信頼度のある交通機関で行こうと決めていた私たちは、安心・信頼で評価が高いインターケープ社の長距離バスで行くことにしました。
南アフリカからジンバブエでの国境越えも、バスで越えます。
ジンバブエはかつてイギリスの植民地でしたが、1980年にようやく独立。国として誕生したのは僅か37年なんですよね。
実は、南アフリカと同様に人種差別が激しかった国でした。いや、むしろ南アフリカよりもその背景は残っているんじゃないかって感じました。
隣国である南アフリカは今でも白人が多く住んでいるのに対し、ジンバブエに入った途端に黒人の割合が一気に増えて空気感が変わったように感じたのも、これだったためかもしれません。
ジンバブエは、ハイパーインフレで経済破綻をしてしまった国として聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
かつては、金・プラチナなどの鉱物資源に恵まれ、「アフリカの穀物庫」とまで言われていたほど農業が盛んだったのに、どうして経済破綻しなければならなくなったのでしょうか、、、。
イギリス植民地時代の頃は、イギリスから渡ってきた欧米人たちによって鉱物や農業の産業が発展してきたのですが、その数なんとジンバブエの農地のおよそ3分の2が白人経営者。
ジンバブエが黒人政権に変わった1980年頃に就任したムガベ大統領は、今までジンバブエの発展を築き上げてきた白人経営者の土地資産を強制的に奪う政策をとったのです。これまで黒人の自由を奪い取ってきた白人を、ここから追い出してやろう!と。このことによって、白人経営者の農業技術が失われ、生産が滞り、一気に物資不足になっていったのです。
そして、物資不足に反して供給が追いついていない為、瞬く間に物価が高騰し、さらに財政赤字を埋め合わせるために、政府に求められるがままに中央銀行が紙幣を印刷した結果、紙幣の価値はどんどん下がっていき、終いには100兆ジンバブエドルまで誕生。驚くことに、破綻当時の100兆ジンバブエドルは日本円にすると、1円も満たないんだそうです。
参考画像 |
こんなに桁数が多い高額紙幣、世界中探しても他にないのでは。
そしてついに2009年、ジンバブエドルは信頼がなくなり、ジンバブエ国内では代わりにアメリカ・ドルや南アフリカの通貨ランドなどが流通するようになったのです。
と同時に、このジンバブエドルは廃止になり、紙切れ状態。
そんな状況が、そう昔の話ではないジンバブエへの国境越え。
その国境は、ジンバブエで失業した人々が、南アフリカへ出稼ぎのために不法侵入を繰り返している場所。緊張感が走ります。
その国境は、ジンバブエで失業した人々が、南アフリカへ出稼ぎのために不法侵入を繰り返している場所。緊張感が走ります。
国境越えは信頼度のある交通機関で行こうと決めていた私たちは、安心・信頼で評価が高いインターケープ社の長距離バスで行くことにしました。
他のバス会社よりも運賃が少し高いのですが、ここは安全を買うということで。
ヨハネスブルグのバス乗り場を出発して8時間、夜中2時頃にようやく南アフリカとジンバブエの国境ゲートに到着しました。
まずは、南アフリカ側で出国手続き。
そして今度はジンバブエ側で入国手続き。
ジンバブエに入国する日本人は、ビザが必要なので、私たちはアライバルビザの習得もその場で行いました。観光ビザの場合、半年間有効の1回きりの入国シングルビザ US$30、2回入国可能のダブルビザ US$45、そして3回以上入国する人はマルチプルビザ US$55 から選ぶことができるので、私たちは1回きりのシングルビザにて手続き完了!
習得したジンバブエのビザがこちら。
ビザ無しで入国できる国は、パスポートに押されるのはスタンプだけですが、1ページ丸々VISAで完成されると、なんだか嬉しい!
ちなみに日本人の場合、南アフリカやナミビア、ボツワナは90日間以内であれば観光ビザは免除されますが、これから行くアフリカ諸国のほとんどではビザの習得が必要となる為、入国するだけでも費用がかさみます〜(涙)だいたい一人当たり1ヵ国30〜50USD(約3.300~5500円)!!
手続きした後、待ってくれていたインターケープ社のバスに戻ると、トランクルームに積んでいたバックパックが外に出されており、ここで荷物検査を受けました。周囲は出稼ぎで行き来している人々なのか、みなさん大荷物。明らかに観光客である私たちは、何の疑いもなくスムーズに荷物チェックも終えました。
ようやくバスに乗り込める〜と思ったら、なぜか外で待機時間。1時間ぐらい外で待ったでしょうか。時刻は夜中の3時、、、。
国境ゲートだというのに、あたりは廃止になった紙切れ同然のジンバブエドルを観光客相手に販売している人や、物乞いがウロウロしていて声をかけてきます。
なんの待機時間かよく分からないけど、バスの中で待たせてくれればいいのに。そんなことを思っていると。
一人の片足を失った物乞いの男性が、待機している人々に話かけてきました。
「どうかお金を恵んで下さい、足がなくて働けないんです」
その男性は、両手ともう一つの足を使いながら歩行し、いろんな人に声をかけていましたが、みんな見て見ぬ振りの状態でした。
すると、その時です。
その男性が勢いよく私たちの方へやってきたかと思ったら、いきなりMitsuさんの元にきて、片足しかないその足で思い切りMitsuさんの足を蹴り上げ、何かを言い放って去って行きました。
「えっ!?」
「何!?」
男性がなんと言っていたのかは分かりませんでした。
男性がなんと言っていたのかは分かりませんでした。
と同時に私たちは二人で顔を合わせ、何が起きたのか理解できませんでした。
一瞬の出来事で、ただ呆然とした私たち。
周りの人も、これまた見て見ぬ振り。
早くバスに乗り込みたい、と幾度思ったことか。
なんでMitsuさんが蹴られなければならなかったんだろうか…
黒人の中にいたアジア人だった私たちが目立っていたからかな…
海外に来るお金があるなら、少しでもお金恵めよ、的な怒りが込み上げてきたのかな…
など、など、
バスを待っている間、いろいろ考えました。
周りの人も、これまた見て見ぬ振り。
早くバスに乗り込みたい、と幾度思ったことか。
なんでMitsuさんが蹴られなければならなかったんだろうか…
黒人の中にいたアジア人だった私たちが目立っていたからかな…
海外に来るお金があるなら、少しでもお金恵めよ、的な怒りが込み上げてきたのかな…
など、など、
バスを待っている間、いろいろ考えました。
でも、真相は分かりません。未だに。
日本人がアフリカを旅すること=日本人というだけで気を引き締めなければならない、ということを改めて思い知らされた出来事でした。
日本人がアフリカを旅すること=日本人というだけで気を引き締めなければならない、ということを改めて思い知らされた出来事でした。
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