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2016•1•13出発 〜 2017•4•13帰国 《37カ国》  旅のルート

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2016-10-04

ベルリン蚤の市巡り

古い物を大切にするドイツの人々。
ベルリンでも週末になると、色んな場所で蚤の市が開催されています。


私たちが行った3箇所をご紹介します!



★Flohmarkt am Mauerpark 
住所:Bernauerstr.63-64, 13355 Berlin  
営業時間:日曜 8:00~18:00くらい
アクセス:Bernauerstr.駅またはEberswalderstr.駅
ベルリンで一番規模が大きな蚤の市。ベルリンの壁があるマウアーパークで開催されていて、地元の人にも観光客にも人気の蚤の市です。出店も業者から一般市民までと規模が大きい分、とにかく人も多い!くれぐれもスリには気をつけましょう。
マーケット内にはグルメのエリアも充実!私たちはビーガン用のケバブを食べました。
最高に美味しかった!
6ユーロ(約690円)



★Trödelmarkt Arkonaplatz
住所:Arkonaplatz,  10435 Berlin
営業時間:日曜 10:00~16:00くらい
アクセス:Bernauerstr.駅
こちらの蚤の市は、マウアーパークの蚤の市から徒歩10分ぐらいで行けるので、マウアーパーク帰りにおススメの蚤の市。規模はこじんまりと小さいものの、ほとんどが業者による出店なので、アンティークの品もクオリティが良いものが多かったです。北欧が近いからか、北欧家具が多め。




★Der Original Berliner Trödelmarkt 
住所 :Straße des 17. Juni 110 - 114 ,10623 Berlin
土曜、日曜 10:00〜17:00
アクセス: Tiergarten駅
旧ソ連や旧東ドイツの軍物が多いと言われています。ここも昔から開催されている蚤の市です。ドイツは磁器の国でもあり、マイセンをはじめとするアンティーク食器もザクザク眠っていました。マニアには堪らない蚤の市!!


蚤の市には、若い人から年配の方まで幅広い層で人気。蚤の市に来ている人のファッションも素敵でした。

日曜日のドイツは、ほとんどのお店が休業日。日曜日に開催している蚤の市巡りで、週末も充実しました。


Yoko.





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2016-10-03

ドイツ生まれのBIRKEN STOCKって普通に履いている人っているの?

ベルリンの壁崩壊からまだ僅か27年しか経っていないにも関わらず、ドイツは世界的に見ても経済大国へと発展した国。


少し考えてみただけでも、ドイツ生まれのメーカーが続々と思い浮かんできます。


車だと、ベンツやBMW、フォルクスワーゲン。
町を歩けばDHLの配達トラック。
スーツケースで有名なRIMOA。
文房具屋さんでは、LAMYやSTABILO、MOLESKINE。

私たちがこの旅で愛用している万能ナイフのゾーリンゲン。
靴下ではFALKE。
足元では、ADIDASにPUMA、BIRKEN STOCK、TRIPPENなどなど。

ドイツ国民は自国のメーカーを愛しています。


ADIDAS人口も多いですが、


何と言ってもBIRKEN STOCK人口が多い多い。
安いものは30ユーロぐらいから売ってるし、定番のモデルも日本の価格より30〜50%オフで購入することもできるんです。
やっすーい!

医療靴として作られたBIRKEN STOCKは、日本ではあまり見かけない医療専用の歩行改善靴もありました。聞いた話によると、病院で診察し、BIRKEN STOCKを医療用として推薦された場合、保険適用として安く購入できるらしい、と。日本だと完全にファッションとして取り入れられているBIRKEN STOCKですが、本国では医療用の靴としても愛用されているのです。

他にも見たことのないモデルもあって、欲しすぎる…

でも買いません。(買えません。)

もちろん、BIRKEN STOCKをファッションとして楽しんでいるドイツ国民。
町中BIRKEN STOCKを履いている人を見て楽しむことにしました。
BIRKEN STOCK人口多い!!

キャンプ場では、おじいちゃんおばあちゃんのBIRKEN STOCK率も高かったです。

ヨーロッパは、お買い物目的で来たら更に楽しいだろなぁ〜。

Yoko.





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2016-10-01

ベルリンの名前を一気に有名にさせた「ベルリンの壁」

ベルリンにある壁。
ということは何となく察しますが、ここを訪れるまでいまいち「ベルリンの壁」が何なのか分かっていませんでした。



そう遠くない歴史のことなのに、
中学校の頃に世界史で習ったはずなのに、
すっかり記憶が飛んでしまっていました。


ベルリンの壁は、現在は破壊されてその殆どが撤去されているけど、一部の壁は記念碑としてそのまま残されていて、自由に見ることができるらしい。


とりあえず、見に行ってみよう。


ベルリンの壁の歴史について、よく分からないまま向かったのです。
キャンプ場からメトロを乗り継ぎます。

メトロのシートは迷彩でおしゃれ。

そして最寄りの駅に到着。


ベルリンの壁は、ベルリンの中心部にありました。


川沿いに沿って、壁らしきものに色んなジャンルの絵がペイントされたものがずらーーっと向こうまで続いているではありませんか。

もしかして、これがあの「ベルリンの壁」?!


近寄って見てみると、【Berliner Mauer East Side Gallery】というサイン。

そう、ここはかつてベルリンの壁だった場所。


かつて155km、そして高さは3mにも及ぶ長さの壁があったそうです。


ベルリンの壁の歴史を辿る=ドイツの歴史を辿る=第二次世界大戦の歴史を辿ることに。


日本も広島や長崎に原爆が落とされ、戦争の時代がありました。


その時の戦争は、世界規模の巨大な戦争。


世界中の国が参戦した第二次世界大戦は、6年間もずっと続きました。


各国が敵同士という訳ではなく、対戦では大きく2つのチームに分かれていました。


イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国を中核とする連合国陣営と、日本、ドイツ、イタリアを中核とする枢軸国陣営に。
もともとこの第二次世界大戦の発端は、1939年にドイツのヒトラー率いるナチス党が、隣国ポーランドを襲撃したことから始まったのです。

では、なぜドイツは攻撃しなければならなかったのでしょうか。

それは、かつて起きた第一次世界大戦で敗北したドイツは、イギリスとフランスから領土を取られ、さらにはそれらの国へ賠償金も払わなければならない状況に追い込まれました。


そんな状況下のもとやってきた、アメリカの大不況による世界大恐慌。それは世界中の経済をも巻き込む形となったのです。

輸入をするにも高額な関税がかかる為、各国自国が持っている植民地や自治領だけで経済を乗り越えていましたが、ドイツは植民地を持っておらず…


その不況に対策ができず、耐え切れなくなったドイツのヒトラーが動き出し、ポーランドの侵略を始めたのです。

黙って見ているわけにはいかないイギリス、フランスは、ドイツへ宣戦布告。


それが、第二次世界大戦のはじまりだったのです。


それぞれの同盟国がタッグを組んで、相手陣営を攻撃する日々が続きました。

ドイツ、イタリアはひどく襲撃され、無条件降伏。

日本もアメリカから原爆で攻撃され1945年に降伏。

日本、ドイツ、イタリアが中核となっている枢軸国陣営の敗北により、第二次世界大戦の幕が閉じたのです。


戦争で負けたドイツは、ソ連、アメリカ、フランス、イギリスの4カ国により、領土を分配占領されることに。


そしてドイツの首都ベルリンも、4つの管理地区に分割されることになりました。
※参考画像 wikipedia

ソ連は、東ベルリンを占領。
アメリカ、フランス、イギリスは西ベルリンを3分割にして占領。


その分割は社会主義国であるソ連側(東ドイツ)と、資本主義国であるアメリカ、フランス、イギリス側(西ドイツ)は、経済格差は徐々に格差が開き、東ドイツと東ベルリンは経済悪化、対して西ドイツと西ベルリンの経済はどんどん伸びていったのです。


東西へは自由に行き来ができた為、そこで良い暮らしを求めて、東ドイツ、東ベルリンから、西ドイツ、西ベルリンへ亡命する人が増える一方だったそうです。

戦後毎年、15万人から30万人もの人が西側へ流出。

それを阻止する為に1961年8月13日に、東西ベルリンの境界線に突如作られたのが、【ベルリンの壁】だったのです。
東の国民が、西へ逃げないように、東ドイツの国家存続の危機を感じた政府が東ベルリンをぐるっと囲むように作ったんだそうです。

閉じ込められた東ベルリンの人々。
これが28年間続きました。
その間、東ドイツの市民たちは自由化のデモや運動を頻繁に行い、東西を隔てる壁の解放を求めてきました。


そして1989年11月9日、東ドイツ側の政府は国外旅行の自由化を発表。
その報道を知った東ベルリン市民が壁に押し寄せ、境界が解放されたのです。
※参考画像 webより


そして翌年1990年10月3日に、東西ドイツの再統合が実現。


国同士の戦争で齎らした結末から、ドイツ国民が突如巻き込まれることとなったベルリンの壁は、多くの市民の声によって崩壊させ、再統合させたという革命は、ドイツの歴史を知る上で重要な事柄となったのです。


忘れさられない歴史であるべく、残した壁をギャラリーとして、様々なアーティストの絵が描かれていました。

ギャラリーとして多くの人に見てもらうよう残し続けているベルリン。


日本でも戦争は起きていたのに、ここに来たことで第二次世界大戦のことに深く興味を持ちました。
この壁によって、多くの人の自由が奪われた過去。


ドイツは『景色が綺麗!』だとか『建物や彫刻がすごい!』という言葉だけでは済まされない、その背景には黒い歴史がありました。


日本は、戦争がどこか遠い話のような感覚になりがちですが、ドイツは戦争の悲劇が起こしたベルリンの壁、そしてその崩壊から、まだ僅か27年しか経っていないという現実だったのです。


決して忘れてはならない過去。


私たちはその現場に来ることができて、Mitsuさんも私も其々が思うことがありました。


戦争について、私たちはまだまだ分からない事ばかりですが、今後ヨーロッパ、特に東ヨーロッパをまわっていく為には最低限の歴史を知る必要があるな、と痛感。


その歴史を知って触れるのと、知らないで触れるのとでは、感じ方が全く異なる、という事を感じたからです。


自分たちなりに勉強、勉強。
旅をする上で、世界史の復習が始まりです。


Yoko.





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