日曜日以外の毎日、農作業やコジーニャのお手伝いをする日々。
地球の裏側にあるここブラジルで、古き良き時代の日本に触れることができた10日間を過ごしました。
戦前、日本からの移民してきた仲間たちで築き上げられた弓場農場。
終戦を迎え日本が戦争で負けた時、ここブラジルに移民してきた日本人は、町中では日本語をいっさい話してはならずポルトガル語でしか会話が許されませんでした。
さらに町中で日本人が集まると、会合だと見なされて3人以上が集まることは禁じられいたそうです。
そんな状況の中、その頃は100名近くの日本人が共同生活をしていた弓場農場。
当時の弓場農場は、養鶏で生計を立てていました。毎日、弓場農場で産まれた卵を町まで卸しに行き、それが主な収入源だったといいます。
もちろんブラジルの警察は弓場農場にも、日本人だけの共同生活を辞めるよう勧告をだしてきたそうです。
その時。弓場勇さんは「我々はブラジル人の為に卵を卸し、その為に共同生活しながら仕事をしているのに、それはおかしいんじゃないか」と警察に抗議し、弓場農場だけは共同生活を見逃してくれたんだそうです。
弓場勇さんの努力によって、約100名近くの生活が守られていったのです。
そんな弓場農場では、今は亡き弓場勇さんを引き継いで、お子さんやお孫さん、親族など、弓場家を筆頭に、26家族によって守られていっているのです。
私たちはたった10日間でしたが、弓場農場に来れて本当に良かったです。むしろ10日間だけだと足りなかったぐらい!
移民の話しや、日本人として大切に守り抜いているもの、なにより人としてのぬくもりを感じた日々でした。
本当に勉強になったなぁ。
弓場農場を旅立つ時、ひとつひとつが蘇って感極まりそうになりました。
弓場農場の皆さん、本当に本当にお世話になりました!
私たちが次に目指すのは、ブラジルの、いや南米一の近代都市サンパウロです!!
弓場農場の最寄の長距離バスターミナルからサンパウロ行きのバスに乗り込み、いざ出発!
約10時間のバスの旅、Reunidas社1人127.07レアル(約3.812円)。ちなみにバスチケット代は年々高騰しているそうです。
(夜20時40分ミランドポリス出発のバスなので、バスターミナルまでは弓場の方に送っていただきました。最後の最後まで本当にお世話になりました。)
ブラジル最大の都市、サンパウロ。
どんな出会い、街、文化が待っているのか楽しみです。
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