あらかじめ、地図上でその場所を教えてもらっていたので、この辺りかなぁなんて思って通り沿いを歩いていたら、旦那様のムセバがお店の中から私たちを見つけてくれて、手招きしてくれました!
お店は、日用工具や部品がギッシリ並んだ工具店で、お父様の代から創業されている大きなお店。
中へ入って!と通された2階と3階は住居スペースとなっていて、お店と住居スペース合わせると、それはとても大きな大豪邸のお宅だったのです。
マダガスカルの平均月収は平均3千円ぐらい、高所得者でも4〜5万円と言われている中で、この大豪邸に住むご夫婦ですらタクシーブルースで24時間も掛けて国内を移動されているのかと思うと、マダガスカルが本当にまだまだインフラが整っていないことを改めて感じました。
天井から吊るされたブランコがベンチがわりという、おしゃれなご自宅。図々しくも寛がせて頂き、ここディエゴのおすすめ情報を沢山教えて頂きました。Mitsuさんは教えて頂いたことをメモ中。
旦那様のムセバは、ディエゴ産まれの根っからのディエゴっ子。奥様のアルウァは、実はマダガスカル人ではなくタンザニア産まれ。2人はタンザニアで出会って10年前に結婚したんだそうです。2人の共通は、その昔に祖先がインドからアフリカへ移住してこられたルーツがある、ということ。
たしかに2人はインド人っぽいお顔立ちだなぁなんてどことなく思っていました。
なので家族での会話はインドの言葉(ヒンズゥ語ではないとおっしゃっていました)なんだそうです。
マダガスカルには、彼らのようにインドやマレー系から海を渡って移り住んだ祖先を持つ人が多い為、アジア人の顔つきの方がとても多いのです。そのアジア文化の名残もあり、食事の主食がお米だったり、中華料理があったりするので、アフリカの中のアジアというような感じです。
マダガスカルと日本って関わりがあるんだよ、と教えてくれた旦那様のムセバ。
ここマダガスカルのディエゴは、第二次世界大戦で日本軍が戦った町だったのです。恥ずかしながら知りませんでした、、、マダガスカル人に教えてもらうなんて…
マダガスカルと日本は敵という訳ではなく、当時マダガスカルはフランスの植民地だったので、フランス軍とともに相手国であるイギリス軍と戦っていた場所だったんだそう。
ディエゴには、この戦争で亡くなった日本兵の慰霊碑が建てられています。
私たちが知らなかったマダガスカルと日本の深い関係性を教えてくれたムセバ。もっとこのことについて知りたいと思い、勉強するキッカケを作ってくれて感謝です。
奥様のアルウァも大の日本好きで、大河ドラマ篤姫にハマってるんだとか。その篤姫を見てるうちに、日本伝統にみるみる惹かれていったんだそう。ドラマで見たという「日本式のサンダル」いわゆる【下駄】にとても関心を持っていました。
2人の愛娘シンシアは、3ヶ月前から空手を習いはじめたそうで、空手衣に着替えて見せてくれました。
恥ずかしがり屋のシンシア。はにかむ姿がとっても可愛い!!それはアフリカの布文化のこと。昨日もずっとアフリカ布に対して興味深々に質問しまくっていた私に、なんとアルウァは一枚の布をプレゼントしてくれたのです!!感激のあまり泣きそうになりました。
淡いラベンダー色のペイズリー柄と花柄が組み合わせられた素敵な一枚。
これはマダガスカル語で「ランバワーニ」と呼ばれる布で、マダガスカルだけでなくアフリカの様々な国でも見かけました。ちなみにランバワーニはマダガスカル語なので、アフリカの多くの国ではスワヒリ語で「カンガ」と呼ばれている布にあたります。この布の凄いところは、布ひとつひとつにメッセージが込めらているということ!
聞くところによると、タンザニアはアフリカの中でも特にランバワーニ(カンガ)の生産が有名らしく、いただいた布にも隅っこにタンザニアの文字がありました。
マダガスカルの女性は、洋服の上から巻いてワンピースのようにしたり、腰に巻いてスカートにしたり、赤ちゃんをこの布で包んでおんぶしたり、移動中の肌寒い時には羽織りものとしたり、頭に巻いたり、物を包んで鞄がわりにしたり、砂浜に敷いてビーチタオルがわりにしたり。と、あらゆるシーンで使われている様子。
↓こんな感じで。ラフィア製品が有名な国だけあって、ハット合わせのスタイルも多かったです。とても素敵。
たまたまタクシーブルースでムセバとアルウァと一緒になったことがキッカケで、これほどまで私たちに親切にしてくれた2人に感謝でいっぱいです。
今回頂いたランバワーニ(カンガ)は私にとって大切な大切な宝物となりました。
これから旅写真で沢山登場すると思いますので、あしからず。
Yoko.
0 件のコメント :
コメントを投稿