そろそろ私も居心地が良いエル・カラファテを抜けなければ…
よし!次へ向かおう。
次に目指す町「エル・チャルテン」は、ここから200kmも移動しなければなりません。
郊外へ抜ける大きな道、国道40号線を北上して向かうことになります。
「今回はヒッチハイクしてみようか。」
そう決め、Mitsuさんが渾身の一枚を描きました。
Patagoniaマークバージョン!
そうです、次のエル・チャルテンには、Patagoniaマークの山がありますからね!
荷物を背負った私たちは、キャンプ場から約3km先にある郊外へ行く車がいるであろう国道沿い(検問所)をヒッチハイクポイントとして、そこまで歩きました。
後ろには約15〜17kgのバックパック、そして前にも2〜3kgぐらいのディパックを背負って歩く3kmは、とてつもなく重く、距離も長く感じます。
途中、既にヒッチハイクをしている先人発見!
そこから更に歩き、ヒッチハイクポイントである検問所に到着〜!
そこで目にした光景に愕然とする私たち…
既に、ヒッチハイクしてる人がたくさんいたのです。
「1組、2組、3組、4組…私たち5番目たい…!!」
なぜこんなにこの地でヒッチハイクをしている人が多いかというと、エル・カラファテまでは広大な南米単位で見ると距離は短いのに、1人430アレゼンチンペソ(約3.360円)というバス代が他のエリアに比べて高い為、節約しなければならない長期旅行者たちはヒッチハイクで行く人が多いのです。
日本にいた時は、バス代で3.300円はそんなに惜しむ額ではなかったのに、2人で6.600円は今では大金。しかも氷河ツアーでもだいぶ出費をした私たちは、少しでも金額を抑えてヒッチハイクを成功させたいところ。
私たちもヒッチハイクで北上できることを願い、ヒッチハイクの先人者の後ろにまわり込んで、ヒッチハイク開始です。
とは言っても、この前にいる4組がヒッチハイクに成功してくれないと私たちはヒッチハイクの希望もありません。
どうか皆さん成功してくれますように…。
ここも相変わらずの強風。風を遮るものは全くなく、何もせずその場に立っているだけだと手足がかじかんで来るほどとても寒い…
前の人たちが成功するのを見守りながら、その場で手足を動かして身体を温めたり、動きながら最後のエル・カラファテを楽しんでいました。
2時間経過した頃、一台の大型バスが停車!!
え?!もしかしてここでヒッチハイクしている全員まとめて乗せてくれるかも!!
そこにいるヒッチハイカー全員が期待し、ある一人がバスへ駆け寄ります。
バスの運転手「お金払ったら乗せてあげるよ!」
なんだそれ…
それって運転手のポケットマネーになるだけじゃん…
全員、見事に断り、ヒッチハイクを続けます。
3時間経過…
私たちの後ろには、別のヒッチハイカー3人組の女の子たちが来ました。
4時間経過…
1台たりとも全く止まりません…
次々に諦めて、帰っていくヒッチハイカーたち。
私たちも何度か諦めかけましたが、またあの重たい荷物を背負って長い距離歩いて中心部に戻りたくない思いから、ヒッチハイクを続行していました。
そしたら、なんと4組いた先人たちは皆リタイヤし、私たちが一番前になったのです!
やったー!チャンスだ!頑張ろう。
5時間経過…
止まりません。
この間に止まった車は違う方向へ行く車のみ。
結局7時間、粘ったものの成功には至らず、また再度来た道を歩いて中心部に戻ることに。
ウシュアイア周辺ではヒッチハイクも苦戦することもそんなになかったので、ヒッチハイクで北上するぞー!なんて意気込んで言ってましたが、そんなに甘くありませんでした。。。
「明日、午前中ヒッチハイク頑張ってみて、もしダメだったらバスで行こうか。」
そう話し合い、バスターミナルにほど近い「AMEL」という宿に泊まりました。ドミトリーで1泊100アレゼンチンペソ(約800円)!
昨日まで泊まっていたキャンプ場より安い、格安宿です。
翌朝、朝早く起きてバスが出発するまでの2時間、昨日ヒッチハイクした場所より手前のところでヒッチハイクを試みましたが、全くダメ…。
結局、私たちはChalten travel社のバスチケット1人420アレゼンチンペソ(約3.360円)を購入し、エル・チャルテンへ向かうことに。
【mont-bell アウトドア義援隊ご協力のお願い】
今回起きた熊本地震の発生に伴い、私たちの旅のスポンサーであるmont-bellでは義援金を受付中です。皆様のご協力よろしくお願い致します。
東日本大震災の時に集まった援助金は、一人10.000円を被災地で暮らす830名の方へお見舞い金として援助された他、緊急に必要とされた物資や、燃料を購入し配布されました。
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