パラグアイには、現在およそ7000人の日系人が暮らしています。
パラグアイに初めて日本人が移民してきたのは、1936年のこと。南にある、ラ・コメルナから始まったそうです。
当時の日本は仕事も少なく、生活していく収入もままならなかった時代。
その時、国が国民へ向けて宣言したのが、広大な土地で農業し放題の夢の国、南米へ移住する国民を募集したのが始まりでした。
そして当時夢を持って、多くの日本から南米へ移民する人が、地球の裏側まで渡ってきたのです。
南米移民と聞くとブラジルのイメージが強く、正直パラグアイにどれぐらいの規模の移住地があるのかよく分かっていませんでした。
パラグアイにはいくつかの日本人移住地があり、イグアス移住地もそのひとつ。
私たちは、イグアスの滝を見に行きたかったこともらあり、多くの日本人が住むイグアス移住地を訪問することにしました。
イグアス移住地は、パラグアイ、ブラジルの国境があるシウダーデルエステという町から40kmあたり。
アスンシオンと、シウダーデルエステを結ぶ長距離バスに乗って向かいます。
ということで、お世話になった民宿らぱちょを後にし、アスンシオンのバスターミナルへ。
ここからシルダーデルエステ行きのバスは十数社もあり、1時間に1本ペースで頻繁にでているようです。
各社値段がまちまち。
調べた結果、一番安いこの会社で行くことにしました。
1人55000グアラニー(約1.100円)。
イグアス移住地は、ここアスンシオンから約300km先。
バスの運転手さんに移住地がある「km41(キロメートロ クワレンタ イ ウノ)」で下ろしてと予め伝えて乗車しなければなりません。
みるみる田舎町へとなり赤土に生い茂る木々たちが、とてものどか。
バスを走らせること5時間、イグアス移住地に到着しました。
予約をしていた「ペンション園田」 へ。
ここの宿は、54年前に11歳の頃に鹿児島から家族と移民してきた園田八郎さんが経営される宿なのです。
イグアス移住地は南米移民の歴史の中では新しく、最初に日本人が入植してきたのは1961年とのこと。戦後から16年経った頃でした。
なので、園田さんのように日本で生まれ育った日系1世の方が、まだ多くいらっしゃるエリアなのです。
私たちもペンション園田に来て知ったのですが、八郎さんはなんとパラグアイの日本人移住地を取りまとめていらっしゃるという、すごいお方だったのです!!
日本から、よくマチュピチュ、ナスカ、イグアスの滝を周る南米ツアーが大手旅行会社から出ていますが、イグアスの滝にくっ付けてイグアス移住地ツアーというのもたまにあるらしく、そのアテンドもされているんですって!
移住地内には、八郎さんが作られた「移住地史料館」もあるんだとか。
私たちも移住の話を伺いたいとお伝えしたところ、明日の午後ぐらいから早速八郎さんに史料館を説明していただくことになりました。
全く未知の世界、移民のお話。
移民当時の貴重なお話を聞けるなんて、有難いことです。
夕飯までに少し時間があったので、移住地を散歩してみることにしてみました。
ここには、至る所に日本の看板が立っていたり
こんな大きな鳥居や
野球場もあります。
桜の花だって咲いてますから!
南半球のパラグアイは日本と季節が真逆。本来は、10月が春で桜の時期なはずなのに。
今年のパラグアイは気温が暖かかったり寒かったりと、桜の木もいつが春が分からなくなっちゃったみたいで、4月の秋に花を咲かせるものがチラホラでてきたそうです。
日本食レストランも充実。
(以下の画像は私たちが滞在中に食べた日本食です。)
ペンション園田の隣で、園田さんの息子さんが経営している「吉祥」では、
唐揚げ定食20000グアラニー(約400円)や
今日の日替わりメニューだったトンカツ25000グアラニー(約500円)が食べれるんです!
ラーメンオカモトでは、塩ラーメン。
2年前にカラオケ屋さんから転身したラーメン屋さん。
看板などは特になく、この幟が目印です。
中太のちぢれ麺で、アッサリとしたスープは何杯でも食べれちゃうほど。
サイズによって値段がまちまちで、Mitsuさんは大で、28000グアラニー(約560円)、私は中で22000グアラニー(約440円)でした。
ラーメンに入れるこの秘伝のピーナッツソースと、にんにく、柚子胡椒がめちゃくちゃいい感じに調和してくれます。
福岡旅館のお母さんが作る鍋焼きうどん15000グアラニー(約300円)や
カレーうどん20000グアラニー(約400円)も最高です!
そしてイグアスグリルでは、なんと餃子定食まで。20000グアラニー(約400円)。
日本食に飢えていた私たち。
ここぞとばかりに外食しまくりました。
日本の味が大好きです。
そして、驚いたのは移住地内にある農協!
農家さんが作った採れたての野菜や果物を始め、
日本米や、
お豆腐
お味噌、
巻き寿司なんかもあります。
日本食材もこんなに充実!!
至る所で日本語が飛び交っているし、ここは日本なんじゃないかって錯覚しちゃいます。
その他にも、農協には肉コーナーや焼きたてパン、日用品コーナーも充実しているので、日本人だけじゃなく地元のパラグアイ人にも人気のスーパーとなっているようです。
私たちもここでお買い物した時、レジ係のパラグアイ人から
「いらっしゃいませ〜」
「ありがとうございました〜」
って綺麗な日本語で対応してくださったからびっくりしました。
日本人とパラグアイ人が良い関係性を保ちながら共存している町。
その背景にはどんな歴史があるのでしょうか。
明日、八郎さんがじっくり話を聞きたいと思います。
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今回起きた熊本地震の発生に伴い、私たちの旅のスポンサーであるmont-bellでは義援金を受付中です。皆様のご協力よろしくお願い致します。
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