モアイ倒し戦争がありモアイが作られなくなった19世紀になると、今度はイースター島には多くの捕鯨船や真珠採取船が欧米から出入りするようになりました。
1862年にはペルーを支配下に置いていたスペインの副王領の指令により、ペルー船がほとんどの島民を奴隷として連れ去されるという悲劇が起きました。
さらに奴隷から戻ってきた島民は天然痘の伝染病を持ち帰り、2000人いた島民は1872年には僅か111名の絶滅寸前まで追い込まれてしまったのだそうです。
その時点で、当時木に刻み込んで読んでいたラパヌイ文字(ロンゴロンゴ文字)を読める人が一気にいなくなり、現在のラパヌイ人(イースター島民)ですら解読できる人が少なく、イースター島の歴史が謎に包まれていくことになるのです。
そんな悲しい奴隷の時代、ラパヌイの人々は連れ去られることを恐れ、見つからないように隠れていたと言われている場所があります。
それは、洞窟の中。
ここイースター島には、多くの洞窟が存在するのです。
私たちは、島最大の洞窟「アナ テ パフ」にいってみることに。
キャンプ場からバイクで向かいます。
途中からは、バイクも走ることが困難なほどのオフロード。
洞窟の1キロ手前ぐらいから車両立入禁止の看板が立っていたので、バイクはそこに置いて洞窟まで歩いて向かいます。
赤土の道。
イースター島は、まだまだ整備されてない手付かずの場所がとても多く残っています。
観光するには不便なこともありますが、新たに人間の手を加えずに過去の歴史を知る上では、このぐらいが丁度いいのかもしれません。
洞窟の看板を発見。
しかしあたり一面、溶岩の岩場だらけでどこが洞窟なのか分かりません。
周りは誰もいない…
ここで合っているのかな。。
人が通った後らしき道を進んでいくと、小さな穴を発見しました。
これがもしや洞窟の入り口??!
ここに入って行くの〜?!
中は勿論真っ暗です。
コウモリとか住んでそうだし、中は一体どんぐらいの広さや高さなのかも分からないし、なんだか怖い…。
けど、ここは島最大の洞窟と言われていて、洞窟から何やら絶景が見れるという観光スポットと聞いていました。
ヘッドライトを装着し、勇気を振り絞って、
さぁ行くぞーー!!
やっぱり、真っ暗。
こ、こわい。。
本当にここで合っているのかな…。
少し不安になりました。
すると、洞窟の奥から人の声が!!
良かったーー、場所はここで合ってたんだ。
ヘッドライトの灯りを頼りに奥に進むと、
そして奥の方から木漏れ日が見えてきたのです。
うわ!
外に通じる穴があるんだ!
先に進むとありました。
大きな穴。
天井の岩に捕まり、下を覗いてみると、
その先は足が竦むほどの断崖絶壁だったのです。
激しく波が岩にぶつかる波しぶきに、さらに背筋が凍ります。
はるか昔、ラパヌイの人々はここの洞窟に隠れて生活をしていたなんて。
そしてもう一つ別の道を進むと、もう一つの穴!
これだけ光も入って外の天気も分かるから、隠れるには最適だったのでしょう。
それにしても、中南米ほとんどの国を侵略化していたスペインは、孤島のイースター島にまで狙っていたことに驚きました。
スペインの力、恐るべし。
ラパヌイの人たちも、当時あんな小さな洞窟入り口からあの空間を見つけたなんて凄いな。
ヘッドライトをつけての洞窟、なんだか探検している気分になりました。
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