パラグアイでは5/18~5/31の14日間滞在しました。
日本にいる頃、正直パラグアイってどこにあるっけ?何が有名?というほど、パラグアイに対して「なんとなく」しか知識がありませんでした。そんな中訪れたパラグアイ。伝統工芸品のニャンドゥティとの出会いや、戦後南米移民してきた日本人によって作られたイグアス移住地など、パラグアイに色濃く残る文化や歴史がありました。
パラグアイをまとめました。
パラグアイってどんな国?
①アスンシオン
アルゼンチン、ブラジル、ボリビアの3カ国に囲まれた内陸国パラグアイ。アスンシオンはそのパラグアイの首都です。国民の約4分の1が集まる都市でもあり、バスターミナルは各方面へ向かう多くのバス会社が揃い、地元人で賑わっています。ここでは短い滞在だったので、アスンシオンの中心部へ行けずどんな街並みか見れませんでしたが、メルカドがあったり、多くの民芸品屋さんが建ち並んでいたり、日本の100円ショップも存在するのだそうです。
②イタグア
アスンシオンからバスで揺られること1時間。国道2号線沿いにあるイタグアの町は、パラグアイの先住民族グアラニー族に伝わる「ニャンドゥティ」の産地。スペイン語で【蜘蛛の巣】を意味するニャンドゥティは、色鮮やかな糸で一針一針丁寧に放射状に刺繍していくカラフルなレース編みです。糸が作り出す非常に繊細で美しい模様がとても素晴らしく、心奪われました。ここイタグアには希少になりつつある刺子(職人)さんが今でも多く住む町でもあります。刺子さんは自宅の庭先で作業を行っており、私たちは運良く、パラグアイの人間国宝級の職人と言われているシンドゥルファさんのお宅へお邪魔させていただき、数多くの作品を見せていただくことができました。パラグアイの素晴らしい工芸品です。
③イグアス移住地
パラグアイのシルダーデルエステと、ブラジルのフォルドイグアスとの国境から約40km地点にあるイグアス移住地は、南米移民してきた日本人によって作られた日本人移住地です。パラグアイに初めて日本人が移住してきたのは1936年のこと。当時の日本は仕事も少なく、生活していく収入もままならない時代でした。そんな時、日本国から宣言されたのは「広大な土地で農業し放題の夢の国へ行きませんか」の募集。夢を抱いて向かった日本人移住者たちが待っていたのは、農業ができる状態ではない生い茂った原生林でした。畑から切りひらき、移民した日本人によって築き上げられた大豆産業は、現在世界第4位までに成長。ここイグアス移住地には、今でも古き良き日本の文化がたくさん詰まっています。
パラグアイでの移動は?
舗装されていない道路も少なくはないパラグアイ。そんなガタゴト悪路が続く赤土を走るパラグアイでの移動は、路線バスが主でした。路線バスは2種類あり、エアコン付き・TV付きの綺麗な車体のものは3300グアラニー(約66円)、付いてない車体のものは2000グアラニー(約40円)で、双方ともどこまで乗っても一律料金でした。
後者のバスは途中止まってエンジン修理したりするほど、年季の入ったものが多いので、長距離の移動や時間に余裕があまりない場合は、料金は高くても前者の方が断然良いです。
パラグアイの相場って?
日本人が多く住むパラグアイでは、日本人宿や日本食レストランが多くありました。特に日本食はなんでも揃っているので、物価の安いパラグアイでは日本食を満喫しました。
水500ml 1500グアラニー(約30円)
豆腐 6000グアラニー(約120円)
さとうきびのお酒1瓶15000グアラニー (約300円)
福岡旅館の鍋焼きうどん 15000グアラニー(約300円)
吉祥の豚カツ定食 25000グアラニー(約500円)
さてパラグアイ滞在の費用を出しました!
物価の高かったチリやアルゼンチンから移動してきたパラグアイ。日本食に魅せられて外食が続きましたが、それでも1人1日あたり1.782円という久々に2.000円代を切ることができました。日本の味が恋しくなる長期旅行者にはありがたいほどに満喫できる日本食。さらに物価が安いので、長期滞在者が多いゆえに、ここ最近はパラグアイの永住権を取得する人が増えているそうです。日本から遠く離れたパラグアイ、多くの人にあまり知られていない魅力がたくさん詰まっている場所でした。
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