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2016•1•13出発 〜 2017•4•13帰国 《37カ国》  旅のルート

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2016-02-26

さようならマチュピチュ。しかし川が氾濫し、道が欠壊!どうなる!?

3泊4日滞在したマチュピチュ村から、またクスコへ戻ります。

行きは、クスコから8時間かけて水力発電所まで乗り合いバス、水力発電所から2時間半かけてマチュピチュ村へはスタンドバイミーコースを歩く方法で来た私たち。

帰りは、スタンドバイミーコースを列車で帰ってみることにしました。
片道 1人US$25(約2.875円)。かなり大きい出費ですが、ここは窓から絶景が見られると言われるペルーレイル。ちょっと奮発。いや、かなり奮発です。
とっても綺麗な車両!
左右、上、どこを見渡しても外の風景が一望できます。


歩いてきたスタンドバイミーコースを、また違った目線で見れるのも嬉しい!


 そして今回、ペルーレイルに乗ったもう一つの理由がありました。

実は、行きよりも荷物がかなり増えたのです。

増えたもの。
お米12合、ダシや味噌汁など、うまかっちゃん5個パック(九州の有名即席ラーメン)などの大量の日本食や、日用雑貨。
これは、ほんの一部。実はこれ、先日再会した父と母が、両手いっぱいになるぐらいバッグに詰め込んで、わざわざ持ってきてくれたのです。

そして、大量の五円玉とそれに付ける水引き、ポチ袋まで!
これは、私たちがこの旅で出逢った外国人たちに、「良いご縁をありがとう」の意を兼ねてプレゼントしているものでした。

本当に有難い…

しかし、時折雨が降る中、これらをずっと持ち歩いての2時間半は、なかなか重たい。

結果、お金を出して楽ちんコースを選びました。
途中にはキャンプ場があったり、
下からマチュピチュがチラッと見えたり、(分かりにくいですが、写真の右端に人工物の建物が!)

リッチ空間に乗っている間は、一瞬のひととき。あっと言う間に、水力発電所に到着しました。



水力発電所からは、また8時間かけて乗り合いバスでクスコへ向かいます。
予約でお願いしていた14:40発のバスに乗り込みます。
また大きなバスじゃありませんか。
またあの断崖絶壁を通らなければならないのに…

2度目と言えど、この道は慣れません。

断崖絶壁を超えたあたりで、なぜか渋滞が起きていました。

そこは、行きにかろうじて通ってきた、川が氾濫していた道です!
↑行きの時の写真ですが、すでにこんな状態。ここから更に増水し、道が決壊してしまったのです。


降りて様子を見に行く運転手。

なんと、私たちが行く時に通った翌日に欠壊してしまったらしく、そのすぐ近くに簡易的な橋ができていました。
写真の右端に見えるのが、今回応急処置として作られた簡易的な橋。何本もの木を重ねて橋となった、THE手作り橋です。

こんな橋を車で渡ったら、バキッと折れちゃいそうな勢い…。

一回り車体の小さなバンバスたちは、この橋を通って先へ進む事へ。
しかし私たちのバスは大きく、完全に橋の幅が足りていません。

運転手さんから、全員バスから降りるよう言われ、私たちは簡易的な橋を渡り、道の奥で待機することに。
本来の道は、ダンプカー2台停まっている場所の右側が道。川の氾濫で道がなくなってしまっています。

復旧の為、ダンプカーがマチュピチュ村から運んできた大きな石を、ショベルカーによって、川の水をせき止める作業をしていました。

私たちが乗っているバスには全員で32人の乗客。バスから降りた私たちは、バスはどうやってこの橋を渡るのだろうと外から見守っていました。

バスの運転手さん、橋は渡らず、川が氾濫して欠壊してしまった道を、強行突破で水浸しの中、見事に通って先へ進むことができたのです。


道が欠壊して通れないからと言って、Uターンすらできない狭い道。

勢いのある川の流れの中、自然災害と向き合う命がけの運転。

この32人を8時間かけてクスコへ届けなければならない任務。

バスへ再度乗り込む際、皆、運転手さんに感謝しました。

舗装されていないマチュピチュ村までの道、近い将来舗装され、恐怖を感じずに山を越えれる時が来ることを切に願います。せめてガードレールはつけて欲しい。


ひやひやのバス移動も無事にクスコへ到着し、私たちは荷物を預けていた「Tayta wasi hostel」へ戻りました。

無事に宿に辿り着いた安堵感。この時点で時計は22:00を回っていました。

また再度クスコで過ごす間、この宿にお世話になります。


Yoko.



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